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独り言


とりとめのないつぶやき
by pooch_ai
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波の足跡


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 私は、海が好きだ。ときどき、無性に海が見たくなるときがある。
 嬉しいとき、悲しいとき、イヤなことがあったとき、ただ、ぼーと、海を眺めているだけで、何時間でも、飽きることがない。

 心がささくれだった感じがしているときでも、単調な、寄せては、返す波の音を聞きながら、海を眺めていると、心が和んできて、他人に対しても、やさしい気持ちになれそうな気がする。

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 学生時代は、山の会のメンバーで、海よりも、山に魅せられていた時期もあった。八ヶ岳縦走をはじめ、槍や、谷川のマチガ沢などに、次々にアタックしていて、自分では覚えていないものの、「あの頃は、山に登らない人間は、人間じゃない、みたいな言い方をしていた」と、後に、友人から言われたほどであった。
 
それが、テレビの仕事に就いて、昼と夜が逆転した生活が続くうちに、いつしか、すっかり海派になってしまっていた。


 今年の秋は、雨の日ばかりが続き、うんざりしていたら、珍しく太陽が顔を出して、明日も爽やかな秋晴れの予報に、突然、海を見に行きたくなった。

 どうせなら、「海をたっぷり眺めて、蜜柑狩りも」と、インターネットで検索。デジカメ友だちと、三浦半島の「津久井浜観光農園」へ出かけたのであった。



波の足跡_c0019055_22464891.jpg 「蜜柑狩り&撮影」のプランを思いついたとき、私は、脳裏に、高台の蜜柑山から、遠く海を望む光景を、思い描いていた。
 童謡「蜜柑の花咲く丘」の歌詞からの連想かも知れないが。



 
 
 だが、実際には、蜜柑園の下には、のどかな田園風景が広がっているだけで、どこにも海は見えず、一寸がっかりした。
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軽い失望感は否めないものの、鈴なりの蜜柑の木が、密集している様は壮観で、何よりも、木に成っている実を、直接もいで食べるという行為が楽しかった。

まだ、半分青いのに、甘くてジューシーな蜜柑を、ハサミで切り取っては、“お土産用”の袋に詰めてゆくのも、初めての体験で、心が弾んだ。


 蜜柑園を後にした私たちは、一度駅に戻り、蜜柑山とは反対方向へと向かった。しばらく歩くうち、不意に、潮の匂いが鼻をつき、行く手に海が見えてきた。



波の足跡_c0019055_23135816.jpg その日、やっと、目にした海だったが、これまた、余りにこじんまりした海岸なのには、拍子抜け。遠くに見える灯台らしきものや、サーファーを眺めたりしていて、ふと足元に目を向けたとたん、私の心は、ときめいた。



波の足跡_c0019055_2321334.jpgこの日、一番強く、私の心を捉えたのは、金色に輝く蜜柑でもなければ、青い海でもなく、波が砂浜に描き残した紋様であった。





 砂丘に風が描いた “風紋“や、ダイバーが撮った、海底の砂に波が刻んだ”砂紋“の写真は、見たことがあるが、砂浜に波が作った”砂紋“を目にするのは、初めてのような気がした。
多分、波打ち際のものは、すぐ次の波に消されてしまうか、残っていても、人出の多い海岸では、踏み荒らされてしまって、きれいなまま、残されていることは滅多にないからかも知れないが。


竜安寺の石庭の砂紋とか、故山水の庭園に描かれている砂紋は、見事だし、確か、東山魁夷の作品にも、「砂紋」というのがあったような気がする。
だが、私には、自然が作り出した、この拙く、ちっぽけな紋様が、どうにも愛しく、寄せては返す波が、砂の上に残していった足跡のように思えて、”波の足跡“と勝手に命名。密かにそう呼ぶことにした。
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“波の足跡”に強く惹かれて、カメラにも何枚か収めたが、砂浜にしゃがみこんで、見つめていると、心が潤う感じさえした。

 紅葉真っ盛りのシーズンも間近かだが、四季折々に、自然が織り成す美しさを思うとき、自然は、偉大なアーティストであると、改めて感じたものである。


by pooch_ai | 2005-11-02 22:35
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