独り言 |
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去り行く桜の季節を惜しみつつ、今回は、ショート・ショート・ストーリーを、お届けすることに。 今日、また、僕は、約束の猿江公園へ行ってみた。 桜は、すでに、満開の時期を過ぎてはいたけれど、桜の花越しに、「三角帽子の時計塔」が見えたときは、期待に胸が高鳴った。 だが、やはり、みどりさんの姿は、どこにも見えなかった。 「ユースケ、必ず、また、会おうね。三角帽子の時計塔の下だよ」 最後に会ったとき、みどりさんは、そう言ったのに・・・。 ベンチに腰を下ろして、本を読んだり、時計塔から、余り離れない範囲内で、ゆっくり、公園内を散歩したりして、かなりの時間待ってみたが、みどりさんは、ついに現れなかった。 そろそろ帰ろうかな、と思ったそのとき、不意に、「チロ、チロ、どこなの?」と、遠くで、女の人の声が聞こえ、僕の横を、鎖を引きずった子犬が、駆け抜けていった。 「みどりさんだ!」僕の胸は、ドキンとした。が、犬を追って来たのは、みどりさんとは、似ても似つかぬ、ずっと年上の女の人だった。 「ダメじゃないの、ひとりで、先に行っちゃ」と、子供を叱るような口調で、子犬を抱き上げ、その女の人が立ち去ってしまうと、夕暮れの近付いた、公園には、人影も見えず、うら悲しい感じがした。 あれは、去年の秋。まだ、僕が、中1のときのことだった。 3連休を間にはさんで、検査入院していた僕は、シーツ交換のため、部屋から追い出され、休憩室のソファに腰を下ろして、雑誌のページを、パラパラめくっていた。 「悪いけど、少し詰めてもらえる?」 突然、頭の上から声が降ってきて、見上げると、アジエンスって、シャンプーのCMに出てくるような、髪の長い、きれいなお姉さんが、僕の前に立っていたのだった。 「あっ、はい」 あわてて立ち上がったとたん、僕の点滴の台が、あやうく倒れそうになり、「危ない」と、彼女が、それを支えてくれて・・・。 それが、僕とみどりさんとの出会いだった。 「私、みどり。医者は、言葉を濁しているけど、癌に違いないと思うんだ。で、そっちは?」 サバサバした口調で、事も無げに、言ってのける彼女に、僕は、半ばあっけにとられ、すぐには、言葉が出なかった。 「あっ、僕、悠一です。なんとかって腸の病気らしくて・・」 「そうか。食べ盛りって感じなのに、食事抜きで、ユースケも辛いね。でも、病気になんて負けるなよ」 みどりさんは、外見には似合わぬ、男のような口調で、そう言うと、点滴の台の方に、あごをしゃくるようにしてから、僕の肩を、軽くたたいたのだった。 「はあ、ありがとうございます」 「ねえ、その他人行儀な、言葉遣いはやめよう。ユースケと私は、いわば、病気と戦う戦友同士」 「あの、僕、ユースケじゃなくて、悠一・・」 「いいの、いいの。私は、ユースケの方が好きだから」 「そんな、サンタマリアみたいじゃないですか」 「はあ?」 「ああ、ユースケ・サンタマリア?」 「私は、あいつ、嫌いじゃないよ。結構、芝居、上手いしね」 そんな話をしていたら、看護婦さんが 「伊田葵さんいらっしゃいますか」 と、誰かを探しに来た。 「ハイ」と、返事をして、みどりさんが行ってしまい、僕は、狐につままれたような気がした。 しばらくして戻って来たみどりさんに、僕は、思いきって聞いてみた。 「今、確か、葵さんとか」 「うん、葵が本名。ほら、源氏物語の葵上の葵。でも、嫌いなのよ。だから、普段は、ハンドルネームのミ・ド・リ」 「・・・・・」 「ああ、あ」と、ため息ともつかぬ声と共に、大きな伸びをした後、つぶやくように言ったみどりさんの言葉に、僕は、また、また、ビックリ仰天した。 「今夜、亭主が来たら、先生から説明があるんだって」 「テイシュ?」 「うん、私、こう見えても、人妻なの」 みどりさんは、左手をかざして見せたが、その薬指には、シルバーのリングが、光っていた。 「学生結婚って、やつ」 「大学に入って、一番良かったのは、彼と出会ったことかな。彼って、雲みたいな人なんだ。真っ青な空に、“ぽっかり浮んだ白い雲”」 最後は、歌うようにそう言ったのだった。 「雲?」 「そう、茫洋としていて、いつも私のことを、温かく包み込んでくれる・・・」 それから、みどりさんは、しばらくの間、黙って、窓の外をぼんやり眺めていた。 その頬を、涙が、一筋、すうーと流れ落ちるのを見てしまった僕は、あわてて目をそらせたのだった。 手術の日取りが決った日、みどりさんは、あの、つややかなロングヘアを、思い切り短くカットしてしまったのだった。 手術の後、抗がん剤の治療をする予定だが、「副作用で、髪が、ごっそり抜け落ちてしまうから」、と。 「ユースケ、猿江公園知ってる?」 「猿江公園ですか?」 「うん、私のお気に入りのお散歩コース。三角帽子の時計塔があってね、桜の季節が、もう、最高。だから、二人とも元気だったら、来年は、そこで花見をしよう。毎日、2時から3時の間に、行ってるから」 「僕、絶対、行きます」 部屋に訪ねて来たみどりさんは、宝塚の男役のようだった。目ばかりが大きくなった感じで、痛ましさに、僕の胸は、キリリと痛んだ。 「でも、ケータイの番号、教え合ったりは、しないよ。もし、連絡して、相手の具合が悪かったら、お互いイヤじゃん?」 そして、会うのも、今日が最後。手術の後の、病み衰えた顔なんて、見られたくはないから、絶対に、部屋に来てもいけない。 そう、念を押すと、 「じゃ、桜の花の咲く頃に。指切りゲンマン」と、僕の小指に、自分の小指をからませて、明るく笑っていたみどりさん。 あのみどりさんが、病気に負けたりするはずはない。 僕は、明日も、明後日も、葉桜の頃になっても、また、ここへやって来るだろう。みどりさんとの約束を果たすために。 桜の季節には会えなくても、緑の風が吹き渡る、さわやかな五月になれば、きっと、みどりさんに会えるだろう。なんたって、名前が“みどり”なんだから。
by pooch_ai
| 2006-04-16 11:09
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