独り言 |
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![]() 「やわらかき 光の中に輝ける 白木蓮の美しきかな」 これは、昨年の夏、96歳でこの世を去った母が、その2年前に詠んだ歌である。 新聞で、「江東区の汐浜運河沿いに、150本もの白木蓮が咲いている」との記事を目にしたとたん、この歌と、母の顔が浮んできて、鼻の奥が、ツンとなってしまった。 ![]() 「汐風の散歩道」のネーミングも、魅力的な、運河の遊歩道は、道路よりも、一段低い位置に作られていた。 橋の袂から、木の階段を降りて行くと、真っ白な花をつけた白木蓮の並木が、目に飛び込んできた。 ![]() 一寸、時期が遅めだったようで、花弁のふちが、茶色くなっているものもあったが、全長約1200mにも及ぶという白木蓮の並木は、一見の価値ある光景であった。 ![]() 風に揺れる白木蓮の花を見上げながら、母もきっと「素晴らしいわね」と、感嘆の声を上げただろうな、と思ったら、木蓮の花にオーバーラップして、母の微笑んでいる顔が、見えるような気がした。 母が、短歌を作り始めたのは、94歳になってからのことであった。 ![]() 車椅子生活を余儀なくされたうえ、折り紙はおろか、本のページがめくれず、好きな本を読むこともできなくなってしまったのだった。 週3日、デイサービスに通い始めると、それまでの楽しみに代わるものとして、クロスワードパズルに熱中し始めた。 また、そこで、短歌をなさる方と出会い、自分もやってみる気になったのだそうだ。 ![]() 土浦の姉夫婦と暮らしていた母は、元気だった頃は、東京へ出て来ては、私の家に、1~2ヵ月ずつ滞在していくのを楽しみにしていた。 ![]() だが、足が不自由になってからは、私の方が、会いに行くようになり、おしゃべりをしたり、クロスワードパズルの答えや、頭の中に、作り置きしてあった歌を、口述筆記で、私が、ノートに書き取ったりして、一緒の時間を過ごしたのだった。 そんな風にして、書き取ったうちの一首が、前述の白木蓮の歌であり、私にとって、忘れられない母との思い出につながっている歌なのである。 ![]() どんな事態に陥っても、決して諦めたり、投げやりになったりせず、あれがダメなら、これ、と、常に、前向きに取り組んでいく姿勢には、頭が下がった。 到底、私には、母を超えることはできないと思っているし、今もって、母は、私の誇りである。 ![]() #
by pooch_ai
| 2006-04-01 16:57
<カタクリの花を訪ねて> ![]() 前夜、TVのニュースで、「カタクリの花」が咲き始めた、と取り上げていたのを見て、たまらなく会いに行きたくなった。 もう、大分前だが、「カタクリの花」がクローズアップされた一時期があった。 新聞、雑誌、TVなどのメディアが、盛んに取り上げ、「カタクリの花」を見に行くツアーが、組まれたりもして、写真では、何度か見たことはあったが、実物とのご対面は、これが始めて。 太陽が出ているのに、天気予報では、「夕方から激しい雨」とのこと。早めに家を出て、「殿ヶ谷戸庭園」へと向かった。 ![]() ここは、以前、紅葉の時期に、訪れたことがあり、blogでも紹介しているが、丁度、梅が見ごろを迎えており、もみじの秋とは、また違った趣があった。 ただ、庭園内に、人影がまばらなのは、あのときと変らず、湯島天神の喧騒とは、大違い。静かに花をめでながら、のんびり散策できるのは、とても心地よかった。 ![]() 傾斜地の花木園をはじめ、何ヶ所かで、紅梅、白梅、ピンク色の梅が、今、まさに、シーズン真っ盛りで、見る人の目を楽しませてくれていた。 管理事務所付近で、鮮やかな紅梅に、目を奪われ、続けざまにシャッターを切ったが、よく見ると、最初、てっきり紅梅だと思いこんでいたのが、緋寒桜だったのは、嬉しい誤算で、カメラに収められたのは、予期せぬ収穫であった。 ![]() 「竹の小径」の先の、人が群がっている一角が、お目当ての「カタクリの花」では、と思い、近寄ってみたら、大正解であった。 ![]() 派手さはないが、ひっそりと咲いた、薄紫の「カタクリの花」たちに、心惹かれ、「始めまして」と、無言の挨拶を送りながら、カメラを向けたが、その慎ましやかな様子に、好感度アップ。因みに、花言葉は「初恋」とか。 入り口の掲示板にも、「カタクリの花が咲きました」と、お知らせが出ていたが、やはり、前夜のTVで見て、訪れたと言う、熟年男女が、カメラを構えて、花の前に、陣取る姿が目だった。 ![]() 殿ヶ谷戸庭園には、むかし武蔵野に自生していた野草が、数多く見られるということだが、この他にも、シュンランや、しょうじょうばかま、アセビ、れんぎょう、おうばい、福寿草、ぼけ、ひゅうがみずき、等々の花々が、春の前奏曲を奏でており、見上げた桃の枝では、可憐なつぼみが、ほころびはじめていた。 茶室・「紅葉亭」の近くでは、梅の花の前に、カメラの三脚を据え、老人グループが、タバコをくゆらしながら、談笑していた。 ![]() そのすぐ横では、黄色の小さな花をつけた「ひゅうがみずき」の前に、幼い女の子がしゃがみこみ、若いお母さんが、「ほら、全部、下を向いて咲いていて、可愛いでしょう」と、指差しながら、話しかけていた。 花を眺めていると、誰しも、心が癒され、幸せな気分になれるものだが、ここ、殿ヶ谷戸庭園には、あわただしい都会暮らしから、失われがちな、ゆるゆるとした“ 優しい時間”が、流れているようであった。 ![]() 東風吹かば・・・、水面を吹き渡る風が、梅の香りを運んでくると、水温む季節の到来。次郎弁天池では、鯉の群れが、元気に泳ぎ回っていた。 万物が、イキイキと活動を開始する春は、新たなる挑戦と、出発のときでもあるが、パラリンピックでの日本選手たちの活躍ぶりには、胸が熱くなった。 冬季五輪で、惨敗を喫しているだけに、さまざまな障害を抱えながらも、果敢にアタックして、素晴らしい結果を出した彼等に、心から拍手を送りたい。 ![]() URLは、個々にお知らせしますので、よろしく、お引き立てのほど、お願い申し上げます。 ![]() #
by pooch_ai
| 2006-03-18 21:21
![]() 例年になく、冬の寒さが厳しかっただけに、やはり“春”の兆しが、感じられると、心がときめいてくる。 暖かい日は、花粉地獄でもあり、今年は春の来るのが、うれしいような、うれしくないような、と思っていたのだったが。 家の近くを歩いていても、あちこちで、遅れていた梅の開花が、見られるようになったので、友人と誘い合わせて、湯島天神へ出かけてみた。 ![]() 青空を背景に、周りに香気を漂わせている、白梅の凛とした美しさに見とれながら、女坂のゆるい階段を上って行ったら、境内は、観梅に訪れた老若男女の群れで、大混雑だった。 「梅は、桜よりも地味だから」の友人の言葉に、うなずきながら、人々の後について、五分咲きの、紅梅や白梅を見て歩くうち、突然、私の足は、釘付けになった。 流れるように垂れ下がった、無数の細い枝に、びっしりと薄紅色の花をつけた “しだれ梅”に、目を奪われ、他人に背中を押されながらも、その美しさに、しばし見惚れてしまったのだった。 ![]() そこだけポッと明るくなったように、際立って見えるのは、文字通り、華のある風情で、見ているこちらまで、気持ちが華やいでくるようであった。 これまでは、湯島と聞くと、「湯島の白梅」という言葉が、自然に、浮んできたものだが、これからは、きっと、“しだれ梅”を連想するだろうな、と、思った。 ![]() 境内の片隅で、「婦系図」献木の立て札を見かけたときは、その昔、天神下から上野池之端へかけての一帯は、花街だったのだなと、一瞬、泉鏡花の、お蔦、主税の悲恋物語に、思いを馳せたのであった。 でも、今の若い人たちには、お蔦、主税も、貫一、お宮も、ピンとこないだろうな、電車男と、エルメスじゃなきゃ、と思ったら、なんだかおかしくなって、笑いを押さえるのに、一苦労した。 ![]() 天神様からの帰り道、立ち寄ったスーパーの、野菜売り場に、「ふきのとう」が並んでいて、「ああ、今年も、そんな季節に」と、思ったら、母の顔が浮んできて、胸がチクリと痛んだ。 以前、PCクラブニュースに、「ふきのとう」という散文を載せたことがあるので、ご記憶の方も、いらっしゃるかも知れないが、あれは、一昨年の、丁度、今ごろのことであった。 ![]() 深刻な病状が続いていた、入院中の母が、突然、「ふきみそ」が食べたいと言い出したので、作って持って行ったところ、喜んで食べてくれた。 数日前から、殆ど、食事は口にせず、点滴だけの日が続いていたため、なんとか、少しでも食べられるようにと、母の好物を、あれこれ持参して、心を砕いていただけに、まさに、「ふきみそ」さまさまであった。 ![]() 来年は、早春の山野を歩いて、自生の「ふきのとう」を摘んでこよう。そして、香り高い本物の“ふきみそ”を作って、母に食べさせてあげよう、と、心に誓ったのだったが、それも果たせぬまま、母は、旅立ってしまったのだった。 そんなことを、思い返しながら、帰るとすぐ、「ふきみそ」を作って、お供えし、 私も、夕飯のとき、お相伴にあずかったが、ふきのとうのほろ苦さが、口いっぱいに広がって、春の息吹が感じられた気がしたのだった。 ![]() #
by pooch_ai
| 2006-03-13 15:07
![]() 風は、まだ、少し冷たかったけれど、早春の淡い陽射しを浴びて、神社の石段に、びっしり並んだお雛様は、圧巻だった。 ご主人の転勤で、最近、勝浦に移転した旧友の誘いで、「かつうらビッグひな祭り」に行って来た。 ![]() 2月は、絶不調で、治ったはずの風邪が、また、ぶり返して、なかなか抜けないなと、思っているうちに、頭痛や、目の奥から後頭部へかけての痛み、くしゃみに、鼻ぐしゅぐしゅといった症状が続き、これは、花粉症に違いないと、気づいたのだった。 私は、花粉症とは無縁だったのに、ついに、去年、あの忌まわしいヤツに捕まってしまったのだが、この先2~3ヶ月も、こんな日々が続くのかと思うと、気が滅入る一方であった。 そこで、気分転換に、ひな祭りを見物がてら、久闊を叙して、海も眺めて来ようと、欲張りプランに、胸を躍らせて、「わかしお7号」に飛び乗ったのであった。 昔、一緒に仕事をしていた彼女は、結婚退職以来、ずっと伊豆に住んでおり、その間、何度も、伊豆へは出かけながら、会う機会がなかった。旅行するときは、いつも母が一緒で、ホテルに一人残していくのは、可哀想だったから。 改札口まで迎えに来てくれていた、彼女との再会は、実に20年振りであったが、互いに、一目でわかり、同時に発した言葉が、「昔と全然変ってない」であった。彼女の方が、ずっと年下ではあるけれど。 会ったとたんに、時計の針が後戻りしていく感じで、はしゃいだ気分のまま、彼女の案内で、お雛様見学ツアーはスタートしたのだった。 ![]() ![]() 市を挙げての一大イベントというだけに、駅の構内にも、ひな壇が設けられていたし、商店街の交差点入り口と、覚翁寺山門前、市民会館、そして遠見岬神社石段の4会場をはじめ、信用金庫前や、商家の店先、ショーウインドウの中と、街中いたるところ、お雛様だらけなのには、ビックリ。 ![]() だが、やはり一番の見ものは、神社の60段の石段を埋め尽くした1200体のお雛様だった。毎朝、7時前から、近所の人たち十数人がかりで、約1時間かけて、並べるのだそうだ。夜間はライトアップもされ、期間中に、約30万人もの人出が予想されているとか。 ![]() 彼女の言葉によれば、「普段は、人っ子一人通らない」という川沿いの道にも、祭りにはつきものの屋台が、ずらりと店を連ね、臨時の駐車場には、観光バスまで駐車していて、大変な賑わいだった。 ![]() ゆっくり時間をかけて、街を一巡。存分に、雅な気分に浸った後は、最終コースの海へと向かった。ホテルの裏道から、浜へ出て見たら、静かで、きれいな海が広がっていたので、うれしくなってしまった。 ![]() 列車に乗る前、駅前の土産物店で、母にと、ストックを一束買って来た。房総の早春の香りを、お裾分けして上げたくて。 ひいな祭りの宵には、ちらし寿司も作って、お供えしてあげることにしよう。 ![]() (右上の「華サロン」をクリックすると、フーちゃんの素敵なサロンへ行けます) #
by pooch_ai
| 2006-03-01 14:44
![]() 友人が、仕事で、マリー・ローランサン美術館へ行って来たから、と、絵葉書と、スタンド・ミラーを、お土産に買ってきてくれた。私が、ローランサンの絵を、好きなことを知っていたから。 「ローランサンは、極度の近眼だったから、こうした絵が描けたのだ、と、言われている」 高校時代、美術の授業で、一枚の絵を示しながら、彼女独特の画風について、教師の言った言葉に、自分も、強度の近眼である私は、大きくうなずいていた。 ピンクやグレー、ブルーの淡い色調の、もわもわっとした感じは、まさに近視の人間が、眼鏡をはずして、物を見た感じであったから。 ![]() それが、私と、ローランサンの絵との、初めてにして鮮烈なる出合いであり、この日から、彼女は、私にとって、忘れられない画家の一人になったのだった。 ![]() その都度、「近眼というのは、近くの物は見えるけど、遠くのものが、輪郭がぼやけて、はっきり見えないの。丁度、薄物のベールを透して、物を見る感じなのよ」と、説明したものだが、ローランサンの絵は、そんなロマンティックなムードに溢れていて、私の心を、強く捉えたのであった。 ![]() 一体に、私は、女性を描いた作品や画家たちに惹かれる傾向があり、ルノアールやドガ、カシニョール、ミューシャ、ロートレック、かなり官能的ではあるが、クレムトなどの作品が好きである。 日本人では、鏑木清方、黒田清輝、上村松園、伊東深水など、いわゆる美人画と言われる絵を、愛してやまない。 同じ女性がテーマでも、モジリアニの不自然なほどに首の細長い女性像は、とても好きにはなれないし、逆に、ゴーギャン描くところの逞しい裸婦にも、たじたじとなってしまう。 ![]() 私が好きなのは、あくまでも、美しさ、愛らしさ、優しさやたおやかさが感じられ、見ているだけで、心がなごみ、温かなものが溢れてくるような絵なのである。 他人の心無い言動に、深く傷ついたとき、気分が落ち込んでいるとき、腹立たしい思いをしたときなど、ローランサンの絵を眺めていると、ピンキッシュグレー(ピンクがかったグレー)のもやに、すっぽりと包まれているような気分になり、ささくれ立っていた心にも、平安が訪れ、嫌なことも、忘れることができるのである。 「永遠の少女」とか、「少女の夢を描き続けた画家」と言われているローランサンは、「鎮静剤」という詩も書き残している。 ![]() パリで栄光をつかみ、貴族などからも肖像画の注文が多く、周囲の画家や詩人たちからは、霊感を与えるミューズと讃えられていたという、ローランサンには、似つかわしくないから。 ![]() 一方、アポリネールの方も、「過ぎた時も 昔の恋も 二度と帰っては来ない ミラボー橋の下を セーヌ川が流れる・・・」と、ローランサンと別れた、悲痛な想いから生まれた詩を、発表している。 やはり、高校時代、詩が好きだった私は、「月下の一群」という堀口大学の訳詩集を愛読していた。その中に、この「ミラボー橋」という詩も収められており、「月日は流れ、私は残る」などと、口ずさんだりもしていた。 ![]() ローランサンと、アポリネールが、恋人同士であったことを知ったのは、ずっと後になってからのことだが、その偶然に驚いたものである。 それにしても、芸術家というのは、幸せの絶頂にあるときよりも、むしろ、悲嘆にくれていたり、苦しい状況のときの方が、優れた作品を生み出せることが多いのは、なんとも皮肉な話であると思う。 ![]() だが、油断は禁物。まだ本調子ではないので、家で、大人しくしていることにして、絵葉書をデジカメで、撮ったり、音楽を聴きながら、久しぶりにローランサンの画集のページをめくったりしているが、体調のすぐれないときには、ローランサンの絵は、私にとっての「鎮静剤」であり、なによりの特効薬と言えそうだ。 ![]() #
by pooch_ai
| 2006-02-01 11:44
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