独り言 |
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![]() 神秘的とも言えるその美しさに、思わず、感嘆のため息が漏れ、私は、夢中で、シャッターを押し続けたのだった。 袋田の滝の氷結は、前々から、一度見てみたい、と思っていたものの一つであったが、なかなか、そのチャンスに恵まれなかった。 ![]() 氷瀑を見るのは、タイミングが難しく、「全面凍結」と、TVなどで報じられていても、翌日には、もう、一部が溶け出してしまったりで、行きそびれてしまっていた。 それが、この冬の、例年にない厳しい寒さで、12月に始まった凍結が、そのままとのこと。PCクラブの有志で、デジカメの撮影に出かけることになった。 ![]() 滝の水が凍るぐらいだから、周辺の気温はマイナス7度ぐらいと低く、階段や道路も凍結しており、滑って、足を骨折した人もいる、と聞くにおよび、出発間際まで、内心、ビクビクしていた。 ![]() すでに、車の中から、滝を目指して歩く人々の姿が見かけられたから、はやる気持ちを押さえつつ、私たちも、混雑する人の群れに混じって、展望台へと向かったのであった。 生まれて始めて、目にした氷瀑は、青みを帯びた白さで、水が凍ったというよりも、雪が降り積もったような感じであった。 想像を絶する素晴らしさに、圧倒され、改めて、「自然は、偉大なアーティストである」と、思ったものであった。 ![]() ![]() 夜間には、ライトアップもされているとのこと。闇の中に浮かび上がる、氷結した滝の幻想的な美しさを、思い描くだけで、心がふるえるようであった。 いつか、機会があったら、是非、見てみたいものと、心を残しながら、吊橋を渡って、帰路に着いたが、途中の川面も一面、氷に覆われていた。 氷瀑の感動的なシーンを、反すうしつつ、立ち寄り湯の、温泉に、ゆっくり漬かっていると、冷えきった体も温まってきて、まさに、至福のときという感じがした。 ![]() 昼食後は、那珂湊の「お魚センター」へ、回ることになったが、途中、真っ青な海も、たっぷり眺めることができた。 お土産に、好物の「たらば蟹」を買い込んだうえ、極上の回転寿司まで、口にして、言うことナシの、ラッキーで、ハッピーな一日であった。 帰りの車中で、徐々に暮れてゆく空の美しさに、心惹かれ、フロントガラス越しに、カメラに収めてみたのだが・・・。 本日の撮影は、これにて、ジ・エンド。 ![]() #
by pooch_ai
| 2006-01-10 21:54
![]() エコーの検査で、虎の門病院へ行った日、午後の内科の検診まで、空き時間があったので、近くの金毘羅さまへ行ってみた。 そこに、金毘羅さまがあることは、かなり前から知ってはいた。 入院中に、仲良くなった若いメル友と、外来でバッタリ会い、病院へ来たら、必ず寄るという、彼女に連れられて、一度、お参りしたことがあったから。 ![]() その後しばらくしてから、その辺り一帯が、かなり長い間、工事中のシートで覆われていたのだが、あるとき、シートが取り除かれて、巨大なビルが出現していたのには、ビックリ。 ![]() いつも病院へ行くときは、予約時間ギリギリで、急いでいたし、帰りは、延々待たされて、やっと診療が終わった後も、次回の予約受付、薬剤部での処方箋の受け取り、会計と、いずれも待ち時間が長く、調剤薬局で、お薬を受け取る頃は、グッタリ疲れ果て、寄り道をする気力などなかったから。 ![]() 鳥居をくぐると、お賽銭をあげて、神妙に手を合わせる人も、見受けられたものの、通り抜けをする人や、ベンチに腰掛けて、タバコをくゆらしたり、缶コーヒーを飲みながら、くつろいでいるサラリーマンの姿が多く、都心のビジネス街にありながら、そこだけ時間が止まったような、のんびりした空間が広がっていた。 写真を数枚撮った後、私も、仲間入りして、しばらくベンチに座っていたが、病院での不安感やイライラが、解消され、心が和む感じがしたのは、神様のご利益?かも。 ![]() ![]() 金毘羅さまへ行ってみる気になったこともだが、外出時に、デジカメを持ち歩くようになってから、行動半径や、目の行きどころが違ってきたようだ。 ![]() すると、思わぬ発見があり、写真を撮るのが、どんどん面白くなってきた。 神宮外苑の銀杏並木へ行ったときは、面白い車を見かけて、「これが噂のベロ・タクシー?」と、思わずパチリ。 ![]() ![]() 海辺の「砂紋」や、「風の散歩道」の靴跡のタイルをはじめ、地面には、色々面白いものがあることに気がついたから。 ![]() 「太陽は日々に新たなり」と言うが、明日はどんな出会いがあるだろうと思うと、毎日が楽しくなってくるというもの。 さあ、明日も、脇道、寄り道、回り道。そして、「下を向いて歩こう」! ![]() 2006年が、皆にとって、輝かしい年でありますように。 ![]() #
by pooch_ai
| 2006-01-01 13:59
![]() “シャンパングラス“という言葉のひびきからして、ロマンティックな感じなのに、それが光り輝く、幻想的なシーンを想像しただけで、胸がときめき、1度見てみたいものだと、思いながら、なかなかその機会に恵まれなかった。 それが、ついに今夜叶うのだと思うと、私は、朝起きたときから、そわそわ落ち着かなかった。まるで、恋しい人に、会いにでも行くかのように。 ![]() カナール沿いの、イチョウ並木や、水面に浮ぶ大輪の花のイルミネーションに、目を奪われながら、進んでゆくと、前方に、ライトアップされた大噴水やシャンパングラスツリーが、見えてきた。 ![]() この公園のシンボル的存在と言われている大噴水や、カナール上の樹氷型噴水のライトアップ、可愛らしいミニ・グラスツリーも、それぞれがロマンティックな雰囲気を醸し出していて、魅力的であった。 ![]() ![]() が、なんと言っても、圧巻は、冬の夜空に、ひときわ煌いて見える大型のグラスツリーであった。 ![]() 最下段のグラスの数は、441個で、1段上がる毎に、1辺の数が1つずつ減っていき、21段積み重ねた頂点は、たったの一個というのだから驚く。 ![]() へと、変化する光の色を反射して、見る人の心を捉えるのであった。 うっとりと、見惚れながらも、優美にして、はかなく、もろいガラス製のグラスが、どうして、あんなに積み上げても、崩れ落ちたり、壊れないのか、不思議でもあった。 私は、色がブルーに変った時の透明感のある輝きが、一番魅惑的に思えて、何度も、何度も、色が変化していくさまを、飽かず眺め続けていた。 ![]() このグラスツリーに似合うのは、やはり、サンタクロースではなく、ガラスの精とか、雪や氷の精といった、メルヘンの世界に住む、妖精たちだろうな、などと思っていたら、突然、身震いがして、たちまち、現実の世界に引き戻されてしまった。 ![]() 夜がふけるにつれて、気温が下がってきたのと、長い時間、水辺にいたせいで、手もかじかみ、体が冷えきっていることに気がついたのである。 屋台のコーヒーで、一息つき、少し体が温まったところで、記念撮影用の“光のパークトレイン”をカメラに収めて、光のワールドに別れを告げたのであった。 ![]() #
by pooch_ai
| 2005-12-14 14:16
![]() 約2年振りに、高校時代の友人と会うことになり、殿ヶ谷戸庭園経由で、三鷹の“風の散歩道”を訪れてみることにした。 殿ヶ谷戸庭園は、国分寺崖線をいかした和洋折衷の回遊式林泉庭園とのこと。 ![]() 武蔵野の面影が残る園内には、紅葉亭という茶室や、湧き水の窪池もあり、国分寺の駅近くにありながら、しんと静まりかえっていて、人影もまばらなのが、心安らぐ思いだった。 ![]() ![]() 鮮やかな紅葉とはいかないものの、松の緑と、赤や黄色に色づいた木々とのコントラストが美しく、竹林を抜けて、池をめぐり、つわぶきの花に、足を止めたりしながら、旧友と交わす会話は、楽しく、時計の針が、後戻りしていく感じだった。 高校卒業後も、頻繁に手紙のやりとりをしたり、彼女の家に泊りがけで遊びに行ったりもしていたのが、いつしか会うこともなくなり、長い時間が流れてしまっていた。 ![]() それが、数年前から、交遊が復活。時々会っては、一緒にランチを食べたり、美術展や映画を観に行くようになったのだった。 ![]() ツーカーの仲であった旧友のいいところは、長い間会っていなくても、昨日別れた続きのように、話がはずみ、全く空白を感じないことだ。 大した話を交わしたわけでもないのに、会った後は、いつも、心豊かな、充ち足りた気分になる。友だちとは、そうしたものであり、私にとっての、貴重な財産であると思っている。 さほど広くもなく、散策するには、程よい規模の庭園には、藤棚や萩のトンネルも、見受けられ、花の季節には、また違った表情を見せてくれそうだった。 ![]() 太宰治や山本有三ゆかりの地として知られる玉川上水沿いの“風の散歩道”は、「三鷹の森ジブリ美術館」への道でもあったが、すっかり晩秋のムードに包まれていた。 ![]() 途中には、山本有三の記念館や、太宰治の「乞食学生」の一節が刻まれた碑もあったが、ドキリとさせられたのは、入水場所と思しきあたりに、太宰の故郷特産の石である「玉鹿石」が置かれているのを目にしたときであった。 ![]() 突き当たりが井の頭公園で、右に折れて、しばらく進むと、ジブリ美術館が見えてきたが、ここは、完全予約制のため、次回のお楽しみということに。 ![]() 帰り道半ばで、歩き疲れ、喉も渇いていたから、「マグノリア」という住宅街の中にあるカフェで、一休み。自家製のガトーショコラが美味しかった。 コーヒーとケーキで、元気を回復。駅への道を辿りながら、「ジブリ美術館を見学がてら、また、必ず来ましょうね」「桜の季節?ううん、“風の散歩道”だもの、やっぱり、風薫る初夏の頃にしましょう」と、彼女と約束したのだった。 ![]() #
by pooch_ai
| 2005-12-03 10:17
中国では、秋のさわやかな天気のことを、「秋高気爽」と言うそうだ。 ![]() 今年は、そんな日は、数えるほどしかなかったな、と思いながら、まだ、11月半ばというのに、日本列島全体が、寒気におおわれてしまっている中、「プーシキン展」を観に行った。 いつもながら、上野の森は、大変な人出だった。東京都美術館では、日展も開催されており、修学旅行の一団も加わって、館内はごったがえしていた。 ![]() 長蛇の列の後についての鑑賞だから、好きな画家や作品、興味を惹かれたものだけを重点的に観て行ったが、それでも、じっくり作品と向き合うことは無理だった。後に続く人に、その場を譲らなければならなかったから。 ![]() とても、「アートの秋を満喫」というわけにはいかず、国立西洋美術館にしても、博物館にしても、どうして、こう、いつも混雑しているのだろうと、ため息が出た。 それに比べ、デパート系の美術館は、比較的ゆったり鑑賞できたのに、数年前に、西武も、伊勢丹も小田急美術館も、相次いで閉鎖されてしまったのは残念でならない。 聞くところによると、外国には、開館時間が、深夜まで延長される「ミュージアムの長い夜」という催しがあるとか。なんとも羨ましい話である。 ![]() だが、やはり、ロシアのシチューキンとモロゾフという二大実業家によるコレクションは、まさに「名画の宝庫」と呼ぶに相応しい作品揃いだった。 今回の展示の呼び物であるマティスの「金魚」は、実物を見ても、私は、あまり好きにはなれなかった。 逆に、立ち去り難かったのは、モネの「白い睡蓮」、ルノアールの「黒い服の娘たち」、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭で」、ドガの「写真スタジオでポーズする踊り子」、ピカソの「女王イザボー」や、ロートレックの版画・「騎手」などであった。 ![]() 家を出るときは、名画を観た後は、のんびり公園内を散策して、と思っていたのだが、うっすらと色づいた桜並木以外、早や冬枯れ(?)の感じさえする寒々とした風景は、物淋しく、興ざめだった。 ![]() 男から男へと、渡り歩き、金を搾り上げては、贅沢三昧の暮らしを続けてきた、スキャンダラスな悪女を演じたエマ・トンプソンのしたたかさは、さすが。 幼い頃に捨てた娘が、実の母親とも知らず、彼女に向かって、「亡き母は、私の理想の女(ヒト)」と、誇らしげに話すのを、聞いたときの彼女のリアクション・・・。複雑な心境が、その表情に、よく表れていた。 娘役のスカーレット・ヨハンソンの可憐な美しさにも魅せられた。 ![]() 映画館を出たときは、街には夕暮れの気配が、漂い始めていたが、銀座まで来たのだからと、デパートに立ち寄り、母の好物であった「鶴屋吉信」の和菓子を買って帰ることにした。 何にしようかと、迷ったが、ネーミングが気に入っている「つばらつばら」に決めた。しっとりとした、晩秋の季節に相応しいと思ったから。 半月型のドラ焼きのような、この和菓子の名は、大伴旅人の歌「浅茅原 つばらつばらにもの思へば 故りにし郷し(ふりにしさとし)思ほゆるかも」に由来しているとのこと。 ![]() 旅人が、大宰府長官として、九州に赴任したとき、つばらつばらに、すなわち、「しみじみと物思いをしていると、故郷の都のことが、あれこれと、心に浮んでくる」と、詠んだ歌だそうだ。 ![]() 「つばらつばら」は、しみじみと、心ゆくままに、あれこれと、という意味の万葉言葉で、その心を汲んで、材料を吟味し、丹精こめて作った、との説明書が。 秋の夜長。今夜は、この和菓子を供えて、私も、お相伴に預かりながら、つばらつばらに、母のことを偲ぶことにしよう。 電車に揺られながら、そんなことを考えつつ、帰路についたのであった。 ![]() #
by pooch_ai
| 2005-11-21 09:37
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