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独り言


とりとめのないつぶやき
by pooch_ai
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心がふるえる神秘的な美しさ


心がふるえる神秘的な美しさ_c0019055_2153012.jpg 薄暗いトンネルを抜け、観瀑台に、一歩足を踏み出した瞬間、群集の頭越しに、完全凍結した滝が、姿を現した。
神秘的とも言えるその美しさに、思わず、感嘆のため息が漏れ、私は、夢中で、シャッターを押し続けたのだった。


 袋田の滝の氷結は、前々から、一度見てみたい、と思っていたものの一つであったが、なかなか、そのチャンスに恵まれなかった。

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 氷瀑を見るのは、タイミングが難しく、「全面凍結」と、TVなどで報じられていても、翌日には、もう、一部が溶け出してしまったりで、行きそびれてしまっていた。

 それが、この冬の、例年にない厳しい寒さで、12月に始まった凍結が、そのままとのこと。PCクラブの有志で、デジカメの撮影に出かけることになった。


心がふるえる神秘的な美しさ_c0019055_2213915.jpg 参加することにはしたものの、東京でも、最高気温が5~6度の日が続いていたため、寒さに弱い私は、果たして、撮影などできるであろうか、と、期待と不安がない交ぜになった複雑な心境であった。


 滝の水が凍るぐらいだから、周辺の気温はマイナス7度ぐらいと低く、階段や道路も凍結しており、滑って、足を骨折した人もいる、と聞くにおよび、出発間際まで、内心、ビクビクしていた。


心がふるえる神秘的な美しさ_c0019055_2284234.jpg だが、当日は、風もない晴天に恵まれ、3連休の最終日にもかかわらず、渋滞もなく、車は、すいすい快調に進み、車内で仲間たちと、賑やかに歓談している間に、目的地に到着。気分は、すっかり晴々としていた。


すでに、車の中から、滝を目指して歩く人々の姿が見かけられたから、はやる気持ちを押さえつつ、私たちも、混雑する人の群れに混じって、展望台へと向かったのであった。


生まれて始めて、目にした氷瀑は、青みを帯びた白さで、水が凍ったというよりも、雪が降り積もったような感じであった。
想像を絶する素晴らしさに、圧倒され、改めて、「自然は、偉大なアーティストである」と、思ったものであった。

心がふるえる神秘的な美しさ_c0019055_22435048.jpg幅73m、高さ120m、四段に落下するところから、別名四度の滝とも呼ばれているとのことだが、途中、渦巻く波のような大きな塊もあり、アイスクライミングをする人たちの姿が、小さな黒い点のように見える光景は、雄大にして、壮観でもあった。
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夜間には、ライトアップもされているとのこと。闇の中に浮かび上がる、氷結した滝の幻想的な美しさを、思い描くだけで、心がふるえるようであった。

いつか、機会があったら、是非、見てみたいものと、心を残しながら、吊橋を渡って、帰路に着いたが、途中の川面も一面、氷に覆われていた。

 氷瀑の感動的なシーンを、反すうしつつ、立ち寄り湯の、温泉に、ゆっくり漬かっていると、冷えきった体も温まってきて、まさに、至福のときという感じがした。
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昼食後は、那珂湊の「お魚センター」へ、回ることになったが、途中、真っ青な海も、たっぷり眺めることができた。
お土産に、好物の「たらば蟹」を買い込んだうえ、極上の回転寿司まで、口にして、言うことナシの、ラッキーで、ハッピーな一日であった。

帰りの車中で、徐々に暮れてゆく空の美しさに、心惹かれ、フロントガラス越しに、カメラに収めてみたのだが・・・。
本日の撮影は、これにて、ジ・エンド。
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# by pooch_ai | 2006-01-10 21:54

街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>

街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_15354078.jpg
エコーの検査で、虎の門病院へ行った日、午後の内科の検診まで、空き時間があったので、近くの金毘羅さまへ行ってみた。



 そこに、金毘羅さまがあることは、かなり前から知ってはいた。

 入院中に、仲良くなった若いメル友と、外来でバッタリ会い、病院へ来たら、必ず寄るという、彼女に連れられて、一度、お参りしたことがあったから。


街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_1539215.jpgそのときは、「金毘羅さまといえば、讃岐を連想するけれど、こんな所にもあるんだ」とは、思ったが、平屋建ての普通の神社で、特に変わったところはなかった。



 その後しばらくしてから、その辺り一帯が、かなり長い間、工事中のシートで覆われていたのだが、あるとき、シートが取り除かれて、巨大なビルが出現していたのには、ビックリ。

 

街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_14561698.jpgそのビルの中に、金毘羅宮も、取り込まれているらしいとは、雑誌の記事か何かで読んで、「へえ~」とは、思ったものの、殊勝な彼女とは違い、信仰心のない私は、足を向けてみることもなかった。



 いつも病院へ行くときは、予約時間ギリギリで、急いでいたし、帰りは、延々待たされて、やっと診療が終わった後も、次回の予約受付、薬剤部での処方箋の受け取り、会計と、いずれも待ち時間が長く、調剤薬局で、お薬を受け取る頃は、グッタリ疲れ果て、寄り道をする気力などなかったから。


街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_14583699.jpg件の金毘羅さまは、「琴平ビル」という、高層ビルの1階に、収まっていたが、ピカピカ光る金属製の太い柱の間から、本殿や参詣人の姿が見えるのは、奇妙な光景であった。




 鳥居をくぐると、お賽銭をあげて、神妙に手を合わせる人も、見受けられたものの、通り抜けをする人や、ベンチに腰掛けて、タバコをくゆらしたり、缶コーヒーを飲みながら、くつろいでいるサラリーマンの姿が多く、都心のビジネス街にありながら、そこだけ時間が止まったような、のんびりした空間が広がっていた。


 写真を数枚撮った後、私も、仲間入りして、しばらくベンチに座っていたが、病院での不安感やイライラが、解消され、心が和む感じがしたのは、神様のご利益?かも。

街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_1475021.jpg街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_149283.jpg








 金毘羅さまへ行ってみる気になったこともだが、外出時に、デジカメを持ち歩くようになってから、行動半径や、目の行きどころが違ってきたようだ。



街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_1415094.jpg それまでは、仕事人間だった頃のクセが抜けず、脇目もふらずに、目的地へ一目散という感じだった。それが、時間に余裕があるときは、周囲を見回したり、横道にそれてみたり、回り道をするようになった。



 すると、思わぬ発見があり、写真を撮るのが、どんどん面白くなってきた。
 神宮外苑の銀杏並木へ行ったときは、面白い車を見かけて、「これが噂のベロ・タクシー?」と、思わずパチリ。


街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_1420055.jpg ベロ・タクシーと言っても、別に、運転手が舌を出している訳ではなく、「ベロ」は、ラテン語で自転車の意味。ベトナムだかに、自転車の後ろにつけた、無蓋の乗り物に、人を乗せて走っているのがあるが、こちらは、外見は小型車そっくり。で、運転席が自転車になっていて、人が漕ぐ、地球に優しい無公害車だそうだ。



街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_14263344.jpgまた、「風の散歩道」では、ガムのパッケージの形をした、ガムの自動販売機を見かけて、カメラに収めたが、最近、最も心がけているのが、「下を向いて歩こう」である。

 海辺の「砂紋」や、「風の散歩道」の靴跡のタイルをはじめ、地面には、色々面白いものがあることに気がついたから。



街中ウオッチング・<下を向いて歩こう>_c0019055_14415456.jpg 手賀沼公園の沼沿いの道を歩いていたときは、自転車や人が行き交う歩道に、ツタが這っているのが、目にとまったが、土手下から、這い上がってきたのかと思うと、健気な感じがして、愛しかった。


 「太陽は日々に新たなり」と言うが、明日はどんな出会いがあるだろうと思うと、毎日が楽しくなってくるというもの。

 さあ、明日も、脇道、寄り道、回り道。そして、「下を向いて歩こう」!
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 2006年が、皆にとって、輝かしい年でありますように。
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# by pooch_ai | 2006-01-01 13:59

シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”

シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_1414573.jpg シャンパングラスを積み上げて作る“クリスマスツリー”のことを知ったのは、もう、6~7年前のことであった。


 “シャンパングラス“という言葉のひびきからして、ロマンティックな感じなのに、それが光り輝く、幻想的なシーンを想像しただけで、胸がときめき、1度見てみたいものだと、思いながら、なかなかその機会に恵まれなかった。
 
それが、ついに今夜叶うのだと思うと、私は、朝起きたときから、そわそわ落ち着かなかった。まるで、恋しい人に、会いにでも行くかのように。



シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_14192655.jpg 幸い、ここ数日間の寒さから開放された暖かな夜で、立川の昭和記念公園には、光のファンタジーに、招き寄せられるように、大勢の人々が詰めかけ、プレ・クリスマス気分を楽しむカップルや家族連れで、賑わっていた。




 カナール沿いの、イチョウ並木や、水面に浮ぶ大輪の花のイルミネーションに、目を奪われながら、進んでゆくと、前方に、ライトアップされた大噴水やシャンパングラスツリーが、見えてきた。


シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_1431360.jpgその一帯だけが、周囲の闇の中から浮び上がって見える光景は、忽然と現れた、まばゆい光に彩られたアナザ・ワールドといった感じであった。




この公園のシンボル的存在と言われている大噴水や、カナール上の樹氷型噴水のライトアップ、可愛らしいミニ・グラスツリーも、それぞれがロマンティックな雰囲気を醸し出していて、魅力的であった。

シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_1515952.jpgシャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_1592126.jpg







が、なんと言っても、圧巻は、冬の夜空に、ひときわ煌いて見える大型のグラスツリーであった。


シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_14412274.jpg カナール内に設営されたステージでは、ミニコンサートなども催されていたが、そのバックに、両方合わせて、約7千個ものシャンパングラスを使って作られたという、ツインのグラスツリーが飾られていた。



 最下段のグラスの数は、441個で、1段上がる毎に、1辺の数が1つずつ減っていき、21段積み重ねた頂点は、たったの一個というのだから驚く。



シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_14491797.jpg このツリーの上部から、流れ落ちる水が、一定の時間で、赤からグリーン、ブルー
へと、変化する光の色を反射して、見る人の心を捉えるのであった。



 うっとりと、見惚れながらも、優美にして、はかなく、もろいガラス製のグラスが、どうして、あんなに積み上げても、崩れ落ちたり、壊れないのか、不思議でもあった。

私は、色がブルーに変った時の透明感のある輝きが、一番魅惑的に思えて、何度も、何度も、色が変化していくさまを、飽かず眺め続けていた。
 
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このグラスツリーに似合うのは、やはり、サンタクロースではなく、ガラスの精とか、雪や氷の精といった、メルヘンの世界に住む、妖精たちだろうな、などと思っていたら、突然、身震いがして、たちまち、現実の世界に引き戻されてしまった。
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夜がふけるにつれて、気温が下がってきたのと、長い時間、水辺にいたせいで、手もかじかみ、体が冷えきっていることに気がついたのである。

屋台のコーヒーで、一息つき、少し体が温まったところで、記念撮影用の“光のパークトレイン”をカメラに収めて、光のワールドに別れを告げたのであった。
シャンパングラスが奏でる”光のシンフォニー”_c0019055_1456724.jpg

# by pooch_ai | 2005-12-14 14:16

落ち葉舞う”風の散歩道”

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約2年振りに、高校時代の友人と会うことになり、殿ヶ谷戸庭園経由で、三鷹の“風の散歩道”を訪れてみることにした。




 殿ヶ谷戸庭園は、国分寺崖線をいかした和洋折衷の回遊式林泉庭園とのこと。
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 武蔵野の面影が残る園内には、紅葉亭という茶室や、湧き水の窪池もあり、国分寺の駅近くにありながら、しんと静まりかえっていて、人影もまばらなのが、心安らぐ思いだった。


落ち葉舞う”風の散歩道”_c0019055_1023960.jpg落ち葉舞う”風の散歩道”_c0019055_1024189.jpg
 


    



鮮やかな紅葉とはいかないものの、松の緑と、赤や黄色に色づいた木々とのコントラストが美しく、竹林を抜けて、池をめぐり、つわぶきの花に、足を止めたりしながら、旧友と交わす会話は、楽しく、時計の針が、後戻りしていく感じだった。


 高校卒業後も、頻繁に手紙のやりとりをしたり、彼女の家に泊りがけで遊びに行ったりもしていたのが、いつしか会うこともなくなり、長い時間が流れてしまっていた。


落ち葉舞う”風の散歩道”_c0019055_1215721.jpg 専業主婦の彼女は、家事や子育て、ご主人のご両親の介護に忙しく、私の方は、仕事に追われていたから。



 それが、数年前から、交遊が復活。時々会っては、一緒にランチを食べたり、美術展や映画を観に行くようになったのだった。
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ツーカーの仲であった旧友のいいところは、長い間会っていなくても、昨日別れた続きのように、話がはずみ、全く空白を感じないことだ。

大した話を交わしたわけでもないのに、会った後は、いつも、心豊かな、充ち足りた気分になる。友だちとは、そうしたものであり、私にとっての、貴重な財産であると思っている。

 さほど広くもなく、散策するには、程よい規模の庭園には、藤棚や萩のトンネルも、見受けられ、花の季節には、また違った表情を見せてくれそうだった。


落ち葉舞う”風の散歩道”_c0019055_1135011.jpgこの前日、病院の帰りに立ち寄った神宮外苑のイチョウ並木は、まだ、かなり緑が目立っていたが、“風の散歩道”は、果たして色づいているかしらと、話し合いながら、次なる訪問地へと、向かった。



 太宰治や山本有三ゆかりの地として知られる玉川上水沿いの“風の散歩道”は、「三鷹の森ジブリ美術館」への道でもあったが、すっかり晩秋のムードに包まれていた。


落ち葉舞う”風の散歩道”_c0019055_11215590.jpg秋色に染まった桜並木の下を歩いて行ったら、靴跡のタイルを発見。ユーモラスな絵柄に笑いを誘われ、カメラでパチリ。


 途中には、山本有三の記念館や、太宰治の「乞食学生」の一節が刻まれた碑もあったが、ドキリとさせられたのは、入水場所と思しきあたりに、太宰の故郷特産の石である「玉鹿石」が置かれているのを目にしたときであった。


落ち葉舞う”風の散歩道”_c0019055_1128464.jpg高校時代は、熱烈な太宰ファンで、中でも「トカトントン」という作品に惹かれていたことなどを思い返し、感無量であった。




 突き当たりが井の頭公園で、右に折れて、しばらく進むと、ジブリ美術館が見えてきたが、ここは、完全予約制のため、次回のお楽しみということに。

落ち葉舞う”風の散歩道”_c0019055_11353416.jpg美術館の手前、斜め向かいのビルを見上げたら、壁に、巨大なクワガタが張りついていた。男の子が見たら喜ぶだろうな、と、思いながら、近寄って見たら、「クワガタ昆虫館」であった。


 帰り道半ばで、歩き疲れ、喉も渇いていたから、「マグノリア」という住宅街の中にあるカフェで、一休み。自家製のガトーショコラが美味しかった。

 コーヒーとケーキで、元気を回復。駅への道を辿りながら、「ジブリ美術館を見学がてら、また、必ず来ましょうね」「桜の季節?ううん、“風の散歩道”だもの、やっぱり、風薫る初夏の頃にしましょう」と、彼女と約束したのだった。
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# by pooch_ai | 2005-12-03 10:17

つばらつばらに

 
中国では、秋のさわやかな天気のことを、「秋高気爽」と言うそうだ。つばらつばらに_c0019055_937054.jpg
今年は、そんな日は、数えるほどしかなかったな、と思いながら、まだ、11月半ばというのに、日本列島全体が、寒気におおわれてしまっている中、「プーシキン展」を観に行った。



 いつもながら、上野の森は、大変な人出だった。東京都美術館では、日展も開催されており、修学旅行の一団も加わって、館内はごったがえしていた。

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 長蛇の列の後についての鑑賞だから、好きな画家や作品、興味を惹かれたものだけを重点的に観て行ったが、それでも、じっくり作品と向き合うことは無理だった。後に続く人に、その場を譲らなければならなかったから。


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とても、「アートの秋を満喫」というわけにはいかず、国立西洋美術館にしても、博物館にしても、どうして、こう、いつも混雑しているのだろうと、ため息が出た。
 それに比べ、デパート系の美術館は、比較的ゆったり鑑賞できたのに、数年前に、西武も、伊勢丹も小田急美術館も、相次いで閉鎖されてしまったのは残念でならない。



聞くところによると、外国には、開館時間が、深夜まで延長される「ミュージアムの長い夜」という催しがあるとか。なんとも羨ましい話である。


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だが、やはり、ロシアのシチューキンとモロゾフという二大実業家によるコレクションは、まさに「名画の宝庫」と呼ぶに相応しい作品揃いだった。


今回の展示の呼び物であるマティスの「金魚」は、実物を見ても、私は、あまり好きにはなれなかった。
逆に、立ち去り難かったのは、モネの「白い睡蓮」、ルノアールの「黒い服の娘たち」、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭で」、ドガの「写真スタジオでポーズする踊り子」、ピカソの「女王イザボー」や、ロートレックの版画・「騎手」などであった。
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家を出るときは、名画を観た後は、のんびり公園内を散策して、と思っていたのだが、うっすらと色づいた桜並木以外、早や冬枯れ(?)の感じさえする寒々とした風景は、物淋しく、興ざめだった。



つばらつばらに_c0019055_1001063.jpgそこで、予定を変更。銀座まで足を伸ばし、オスカー・ワイルド原作の「理想の女(ひと)」という映画を観てきた。原作の持つ味でもあろうが、虚偽と真実、皮肉と愛と中傷とが入り混じったセリフのやりとりが絶妙で、文句なく面白かった。

男から男へと、渡り歩き、金を搾り上げては、贅沢三昧の暮らしを続けてきた、スキャンダラスな悪女を演じたエマ・トンプソンのしたたかさは、さすが。
幼い頃に捨てた娘が、実の母親とも知らず、彼女に向かって、「亡き母は、私の理想の女(ヒト)」と、誇らしげに話すのを、聞いたときの彼女のリアクション・・・。複雑な心境が、その表情に、よく表れていた。
娘役のスカーレット・ヨハンソンの可憐な美しさにも魅せられた。
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 映画館を出たときは、街には夕暮れの気配が、漂い始めていたが、銀座まで来たのだからと、デパートに立ち寄り、母の好物であった「鶴屋吉信」の和菓子を買って帰ることにした。
何にしようかと、迷ったが、ネーミングが気に入っている「つばらつばら」に決めた。しっとりとした、晩秋の季節に相応しいと思ったから。


半月型のドラ焼きのような、この和菓子の名は、大伴旅人の歌「浅茅原 つばらつばらにもの思へば 故りにし郷し(ふりにしさとし)思ほゆるかも」に由来しているとのこと。
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 旅人が、大宰府長官として、九州に赴任したとき、つばらつばらに、すなわち、「しみじみと物思いをしていると、故郷の都のことが、あれこれと、心に浮んでくる」と、詠んだ歌だそうだ。

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 「つばらつばら」は、しみじみと、心ゆくままに、あれこれと、という意味の万葉言葉で、その心を汲んで、材料を吟味し、丹精こめて作った、との説明書が。

 秋の夜長。今夜は、この和菓子を供えて、私も、お相伴に預かりながら、つばらつばらに、母のことを偲ぶことにしよう。
電車に揺られながら、そんなことを考えつつ、帰路についたのであった。

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# by pooch_ai | 2005-11-21 09:37


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